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夕凪の街 桜の国

友人から借りたマンガです。
本当は買おう、買おうと思ってたのですが、ついに手が出せなかったマンガです。

内容は
昭和30年代を舞台にした皆実(みなみ)の物語、「夕凪の街」
平成10年台を舞台にした七波(ななみ)の物語、「桜の国」
の二本立てといった構成になってます。
七波にとって皆実は叔母に当たります。

まあ、検索すれば腐るほど紹介や感想に出会えると思います(映画化、ノベライズもされました)のでいまさらあれこれ書くつもりはないですが・・・少しだけ。

この作品は理不尽に全てを奪われるだけでなく、「奪われ続ける」ということの深い悲しみと怒りがやさしいタッチの中ににじみ出ています。
『はだしのゲン』と比較して読むと面白いと思います。
ただ、作品が短いためか、ある程度「ヒロシマ」という問題に興味を持った方が対象となる表現や省略が見られるのが残念です。(注釈である程度はフォローされてはいるのですが)

私は一応、被爆三世(祖父が入市被爆(原爆投下後、肉親の捜索や救護活動などで広島入りし、残留放射能で被爆すること))なのですが、原爆に関するあれこれは著者と同程度の認識しかありません。
被爆者の「何で生き残ったんかいね?」「何で死なにゃあいけんのかいね?」という相反する絶望は、広島に住み、様々な資料に触れてもなお、理解が難しい問題です。
この作品にはその絶望を出来る限り表現しようとしたとした努力が見られます。単なる反戦や反核、お涙頂戴ではないと思います。
端的なのはp.16の
ぜんたい この街の人は 不自然だ
誰もあの事を言わない いまだにわけがわからないのだ
わかっているのは「死ねばいい」と 誰かに思われたということ
思われたのに生き延びているということ
そしていちばん怖いのは あれ以来 本当にそう思われても仕方のない
人間に自分がなってしまったことに
自分で時々 気づいてしまう ことだ

というくだりです。

東京大空襲でも、その他どんな戦争の悲劇を紐解いても、被害者がこのような感情を抱くことがあるでしょうか?

そうそう、「夕凪の街」に登場する人たちの名前は実際の広島の地名から取られています。
そして、(巻末の)地図と結構符合してます。
「平野(苗字)」(京橋川に平野橋がかかってます)
「皆実」(南区皆実町)
「旭」(南区旭)
「霞」(南区霞)
「翠」(南区翠)この四きょうだいの町は旭を中心に隣町です。
「フジミ」(中区富士見町)
「天満」(西区天満町)
「古田さん」(西区古田)
「打越さん」(西区打越町)



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浄光寺

浄光寺山門
浄光寺山門

二葉の里歴史の散歩道の寺社を訪ねて帰宅途中、古風な山門を発見したので、立ち寄ってみました。
この寺は本堂こそコンクリートのビルになっていますが、山門は不釣合いなほど昔のたたずまいです。

理由はこの寺の山門だけが原爆の惨禍に耐え抜き、保存されているからでした。

浄光寺山門近影
浄光寺山門近影

浄土真宗浄光寺は爆心地より2.1kmに位置し、同じく原爆によって大破した広島駅の近くにあります。
本堂は原爆によって焼失しましたが、本堂の陰になった山門は焼け残り、焼け跡にぽつんと建っていたそうです。
1996年に保存工事がなされました。

浄光寺
浄光寺
3世代前ぐらいの喫茶店みたいにも見える。

しかし、原爆で焼失した寺院のほとんどが鉄筋コンクリート造に姿を変えたのですが、それでもまだ「寺」という姿を保っているものが多い中で、ここまで露骨に「どこの新興宗教ですか?」という本堂も、いかがなものか、と思います。
山門とのギャップが際立ってます。
安楽寺あたりを見習っていただきたいものです。(安楽寺はあえて木造で改修しました)


地図

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ヒロシマを忘れるな

原爆ドーム と キョウチクトウ
キョウチクトウは広島市の花。
夏に白や濃いピンクの花を咲かせる。
被爆後、いち早く咲き誇り、市民に希望を与えたことから選ばれたそうです。

ただし、花言葉は「注意・危険」。強力な有毒植物なんだそうで。


この日が何の日か知ってますか?

ラテン語で表すとこんな感じ。
Memento Hiroshimae.
(メメントー・ヒロシマエ)
ヒロシマを忘れるな。

memento:memini(私は覚えている)の命令形で「覚えていなさい」。meminiは特殊な動詞で、完了形しかもちませんが、意味は現在だったり、命令の形も未来命令法しかもたないという曲者です。また、meminiは目的語として属格をとります(通常、目的語になるのは対格)。

Hiroshimae:Hiroshima(広島)の属格です。多分、これであってるはず。ラテン語は現代語であろうが、他言語であろうが活用させてしまいます。


この文の元ネタは、もちろん
Memento mori.
(メメントー・モリー)
死ぬことを忘れるな。
自分もいつか死ぬ身であることを忘れるな。という意味です。
ミスチルの歌なんかでかなり有名になったフレーズですね。

mori:morior(死ぬ)の不定法(名詞的に用いることが出来ます)。moriorも特殊な動詞で、形は受動態をとりますが、意味は能動態になります。

菊池俊吉写真展

滑り込みで、7/15まで平和記念資料館内で開設されている「菊池俊吉写真展-昭和20年秋・昭和22年夏-」を見に行きました。

菊池俊吉プロフィール

原爆被害調査団の一員として昭和20年10月に広島入りし、癒されることのない原爆の爪あとを撮影し、その後、昭和22年8月に復興に向かう広島をアピールするための写真集「LIVING HIROSHIMA」制作のために再び広島入りして遺した写真が展示されています。

陸軍情報誌のスタッフでもあった彼の視点は原爆の特殊性を非常によくとらえており、熱線でガスタンクに焼き付けられた影や爆心地側だけ焼けたダイダイ、爆風によって同じ方向に破壊された建物などを克明に記録しています。
訪問先の病院などで「来るのが遅すぎる。今来ても何もないよ」などといわれ、苦悩したとのメモも残しています。

22年の訪問では爆心地にたつ本屋や広島駅前の風景など、なかなか進まない復興の中でも必死に生き抜く人々の姿が描かれています。

展示されている写真は平和記念資料館企画展菊池俊吉撮影マップで見れます。


あまりありきたりな感想を書いてもどうかと思うので、これらの写真を見てどう感じるかは、見た方にお任せします。

プロフィール

紅葉修

Author:紅葉修
もみじおさむと読みます。
趣味は鳥見、トンボ見、寺社巡り、ラテン語、ゲームなど。
観察は広島市中心。
ツイッター @volitare1

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